「鉄柵」だったかな?

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蔓草に覆われたこの遺物、何だか分かるだろうか?
これは、谷を挟んだ向こう側とこちら側をワイヤーでつないで車輪にかけてまわし(動力は耕耘機)、山の向こうの田んぼで育った稲を刈り取った後に、こちら側にワイヤー越しで運ぶ装置である。
昔は山を越える手段は徒歩しかなく、一旦山の向こうに行ったらこちらまで稲を運ぶのはとてつもない苦労だった(重い稲を担いで山を下り、さらに山を登ることを考えると気が滅入ると思う)。その苦労を一気に解消したのが、この装置(名前を忘れた)。
谷を挟んでワイヤーが動き、そのワイヤーに稲が一定の間隔で挟まれて運ばれる。その光景は、思い出すととても美しい物だった。今ではどこに行っても見かける事はできない。記憶の中でしか思い描く事ができないのはとても残念だが、これも時代の流れなのだから、仕方がない。
by yuji_aizawa | 2004-06-28 22:48 | 2004年夏