自分史(7)

「頑張りに頑張った二人だけの生活、少しは楽になり、これからのんびり出来る様になる頃には、第3の人生が始まり出していた。
六日町に来ても腰を痛めた主人は、雪の降る中スキー場での勤めは無理のため、以前より働いていた酒屋へと半年は別々の生活。私も昼間は働いているため、屋根の雪掘りはいつも夜ばかり。
ついに腰が痛くて歩く事も出来なくなり、61年2月22日、こしじさんに助けを求め入院する。約3週間会社を休み、3月下旬職場へと。
この年は多難の続く事が重なり、膝に水が溜まり、左足親指の爪を取り、医者に通い通しだった。
孫も4人、誰の目から見ても幸福そうな二人でも、心の中には一つの悩みがあった。子供たちにはこんな生活はさせたくない。させてはならない。いつも心の底から思っている事で、親とは何と愚かな者だろう。
自分の事よりも、いつもいつも子供たちや孫のことばかり、雪の降る新潟よりも雪のない都会へと考え始めた。
家を手放すのなら、新しい方が高かろうと売りに出す事に決める。62年の秋のことだった。

主人は力を落とし、何もかもが嫌になったと言う。私も何と答えたら良いのやら、言葉に困った。(読解不能)二人で涙涙の連続だ。」

つづく。
by yuji_aizawa | 2008-02-17 21:23 | 番外編